あの人にもう会うことはない、会えないのかと今更すぎるけれど寂しくなった。日常の些細な出来事を汲み取れるような温かい日々が私は結構好きだった。あの人のことも好きだった。伝えそびれてしまったな。

大人になる過程でやんわりといなくなってしまった人がいる。どっちかが好きになってしまったり、好意を伝えられず時間が過ぎてしまったり、暮らしている土地が離れていたり。ただ、いなくなってしまうまでの時間が何か温かい記憶になってくれたら嬉しいと思う。

もう連絡を取ることもない、SNSを見ることもない、いまどんな暮らしをしているのか知る由もない。あの頃しか私には分からないけれど、あの人は素敵な人だったから、同じように素敵な人と暮らしていて欲しい。

知ったらきっと余計に寂しくなってしまうから、何も知らないままそう願っています。さようなら。

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烏瓜

久々に夜中に1人で泣いた。寂しかった、あの頃の様にひとりで泣くことしかできなかった。環境が変わり対象が変わり、それでも寂しく思ってしまうのはいまだに救われていないからなのだろう。

あの夜をいつになったら忘れるのだろうか。生々しい感情、夏の夜なのに冷たい空気、世界で1番好きな人にすら愛されなかった事実、軽蔑しても大切だと感じてしまう。他人なのだから同じにはなれないと諦めるのはいいが、目の前の人を誰かと重ねることは失礼でしかないのに。

あの人を許してはいない。簡単に信じることができなくなった私は、面倒な人間に成り果ててしまったではないか。決して許せないのだから、いい加減私の中から消えて欲しい。

自由になりたい。悲しいことを恐れずに誰かを信じて大切にしたい。同じ結末を感じて1人で泣く夜なんてこないでほしい。寂しさなんて存在しなくていい。寂しい。

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余白には色

まだ音楽をしていた頃、音に強く色を感じていた。音だけではなく、数字や言葉にも色があった。色の雰囲気から、たくさんの想像を膨らませるのが好きだった。

音楽をやめてから、色を感じることが減った。正確には感じているけれど、そのことを考える時間が減ったのかもしれない。毎日人並みの暮らしをするために必死で、何かに対して想像する時間がなくなってしまった。

小さいことを気にしたり、誰かの感情を考えたり、ダメだったことに執着したり、そんなことばかり考えていて、それが私らしさとして当たり前になってしまっている。疲れちゃったな。

気にかけてくれる人や、理解しようとしてくれる人は少ない。望んでこの暮らしをしているけれど、たくさんのものに色があった頃が恋しい。

もう少し、暮らしに余白があったらな。

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サンタ

少し早めのクリスマスプレゼントを貰った。

クリスマス、毎年ひどく落ち込んでいた私のことを思い出して、可愛らしかったなぁと思う。おととしは、好きでもない人のそばにいなければならず、泣きながら過ごした。毎年、結局幸せを感じられないクリスマスばかりで、幸せそうな世間に私だけ置いてかれたような気がしていた。去年からはそんなことを思うこともなく、少しだけ大人になったような。気のせいか。

上野までドライブしたついでに服を見に行った。そこで一目惚れしたコート、私のお財布には贅沢なもので、おねだりをしてみた。こんな時におねだりできる性格なのが、私のいいところだなと思う。おねだりできる相手がいることも、嬉しい。

してくれて嬉しいと思えることや、私も何かをしたいと思える関係性はいいな、と思う。持ちつ持たれつと言いたいところだけど、相手に持ってもらう割合の方がよっぽど多い。許されている間に感謝は伝えておかないと。

いつかいなくなってしまう人は寂しいし、大切にする方法がわからない。いなくなるなんて言わないでくれよ。

プレゼント、何にしようかな。

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何か変わるかもしれない、何か救われるかもしれないと思い、久しぶりに地元へ帰った。昔の友達に会ったり、散歩してみたり、珈琲を飲んだり。あまりにも人間が少ないので、東京にいたら味わえないほどの穏やかさだった。

日々の暮らしで悩みは尽きない。仕事のこと、人との関係のこと、将来のこと、私のこと。全部自分で選んで今があるのだけれど、上手くいかないと投げ出してしまいたくなる。

東京に帰ってきて、向き合わなければいけないことの多さにまた落ち込んでいる。どこかできっと間違えていたに違いない。

 

結局地元で暮らすという選択肢はなくなった。家族がいても、友達がいても、居場所があっても、心惹かれる場所に私はいたい。

救いの手を待つのではなく、自分で自分を救わなければ、きっとこれは続くのだろうな。

浜簪

先日、人の感情に流されてしまい酷く落ち込んだ。共感は長所であり生きづらさだと、久々に自分のことが嫌になった。

「若いのに、苦手な人と一緒にいる時間はもったいない。」「もっと自分の都合の良いように、一緒にいる相手を選んで良い。」友達の言葉はずっと心の中で生きていて、悩んだ時に背中を押してくれる。

今いる環境は、私なりに作り上げてきたものだ。私にとって、大切で居心地が良く、落ち込むことの少ない場所を選んできた。特別な感情があったとしても、一緒にいるだけで私まで落ち込むような相手は今はいない。これでよかった、本当によかった。もう間違えたりなどしたくない。

とても暗い人間だと思う。私のような人間と一緒に暮らしたりでもしたら、マイナスな共感ばかりになり終わるのだろう。そんな私をカバーできるような周りの人がただひたすらに大切で愛おしい。

私もいつか、大切な人達の支えになれる存在になりたい。きっとずっと先の話になるのだろうけれど、それまで誰もいなくならないでほしい。今はただ、すでに大切な人達のことだけを思いたい。なにもいらない。

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永遠なんて存在しないと諦めている反面、これが永遠になってほしいと感じる関係に何度か出会ってきた。今のところそれが叶ったことはなかったので、やはり存在しないのかもしれない。

結局何も上手くいかなかった。すれ違ったり喧嘩したり、好きがわからなくなってしまったり。間違いなく大切だったはずなのに。

それでも懲りずにまた、ずっとずっといなくならないで、と思っている。

 

特別になりすぎなくていい。一緒に過ごそう。散歩とか、読書とか、お酒とか、何気ない時間を一緒にいてくれればそれだけでいい。

 

本当はずっとそばにいてほしい。私はずっと一緒にいられるよ。

永遠を、一緒に探してくれたら嬉しいのにな。

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